こんにちは。院試の勉強をしないといけないのに全然関係ない科目が気になってきて、ついついそっちに脱線してしまうこたつです。
化学専攻の院試を受けるので、有機化学とか分析化学、量子化学とかをやらないといけないのに、急に「そうだ解析力学やろう」とか思ってしまいます。
量子化学をやる上で量子力学をもっと深く理解しようと思うと、やはり解析力学を一通り理解していないと厳しいんです。それまで全くそんな素振りは無かったのに、ある章から突然、解析力学は分かった上での議論が始まったりするんです。
ただ、解析力学をやってみると、それそのものが結構面白いんですよ。それで1日中院試対策は進まない、みたいなことになります。
だがそれでいいと、逆にそれが正常だと私は思うんです。
そんなわけで、今回はコラム的な感じで、この頃私が抱いている学問や大学の講義への姿勢についてお話したいと思います。
そのとき一番楽しい科目をやればいい
結論を言ってしまうと、タイトルにもあります通り好きなことを学べばいいということになります。
高校ではいろいろな科目をまんべんなく勉強してきて、大学受験でも上位校は5教科7科目が標準となっています。
大学に入っても理系の場合しばらくは教養といって、どの学科もだいたい共通で、線形代数、微分積分、力学、電磁気学、量子力学、量子化学、生命科学あたりをまんべんなく学びます。
というのも、理系の場合人類がこれまで積み重ねてきた知識が膨大で、昔(1950年頃までのイメージ)は各専攻で研究していたことが今では教養にまで降りてきたのが原因だと思います。
加えて、学生が学部3年までに体得できる知識量は限りがありますが、そろそろ単一の科目ではその限界に達しつつあるのではないかと感じます。
つまり、学部4年で卒業研究を始めなければならないのですが、その段階までに全然最前線には到達できないので、これまで重要視されて来なかった複数分野にまたがる研究をせざる負えないのだと思います。
むしろ、複合分野にこそ面白い発見が眠っているという考えで、積極的に多科目教育を推進しているのかもしれません。
どちらの動機にせよ、1年2年のうちに色々な科目を学ばせておいて、遊撃に回れるような学生に育てる必要があるということです。
東京大学では戦後間もない頃から教養学部を設置し、上記のようないわゆるリベラルアーツ教育を推進してきました。
これが、私には結構心地よくて、好きな科目ちょっとずつかじっていくスタイルが性に合っていたようです。
特に、○○概論的な講義が新鮮味があって熱心に聴いていましたし、今でも結構記憶に残っていたりします。
しかし、化学科に進学して学科の講義を受け始めると、化学科が開講する科目以外を受講する機会が一気に減りました。
一応制度上は他学科もしくは他学部の科目を履修しても規定の単位数までは化学科の卒業単位に認めるということにはなっていますが、必修科目と実験が時間割を埋めてしまい、そうする余裕はなくなります。
加えて、化学科の必修科目にも色々あって、正直無機化学とか固体化学は私の興味からだいぶそれたものでした。
そんなわけで、これまで学科の講義の履修システムになんとなく不満があったのですが、ここ最近それもそんなに悪くなかったんじゃないかと思うようになりました。
というのも、最近、趣味で田崎先生の統計力学の教科書を読んでいたら、統計力学のやりたいことといいますか、言わんとすることがスーっとわかったという瞬間がありました。
実はこの本は随分前に買って読んでみたものの正直全くわからず、そのまま積んであったものでした。
それで近頃、院試対策のために化学熱力学を勉強していた際に、ボルツマン分布や分子分配関数の辺りで統計力学で似た話があったなと思い、再び読んでみたという次第です。
どんな科目もわかるようになってくると楽しくなるもので、そこから急に無機・固体化学の教科書を読み漁るようになり、寧ろ本業の有機合成や生物化学がおろそかになるという始末です。
一年前、嫌々やらされた記憶のある無機化学と固体化学。一応授業は全て出席して試験直前には優をとる程度には詰め込んだものですが、そのとき覚えたことはほぼ全て忘れていました。
ですから私はこの経験から、「興味ない講義でも、その知識が後に役立つことがあるから熱心に学ぶべき」と主張したいわけではありません。
田崎統計力学を読んで私に起こったのは、固体の性質についてもっと色々知りたい、そしてそれはシュライバー・アトキンス無機化学のあの辺りに書いてあったな、という次の学びへの動機形成でした。
これは一年前に無機化学の講義を受けていなかったら起こらなかったんじゃないかと思います。
つまり、講義の内容はほとんど忘れていても、後にその分野を学びたいと思われたときに、どの教科書を読めばいいかを知れただけで十分儲けもんなんです。
興味のない必修科目はそれくらいの気持ちで受ければいいと私は思います。
考えてみれば、教養のときの必修科目にも全然興味ないものがいくつかあって、ギリギリ単位をとれるくらいしか勉強していませんでした。
線形代数が私にとってまさにそんな科目でした。でも最近になって、量子力学やフーリエ変換を後に学ぶときに、線形代数とのつながりが見えてきて、そのときに初めて自らの意志で線形代数の教科書を開いたことがあります。
興味がない間はキーワードだけ拾っていく気持ちでゆるゆる聴いて、あとから学びたいと思ったときに本格的に教科書と向き合うというなが自然なのかも知れません。
だから、基本的には自分がその時一番楽しいと思える科目を勉強していればいいんだと思います。
興味ない科目の講義は片手間に聴いてもいいんです。
ただし、単位を落として留年したり院試に落ちたりしたら洒落にならないので、興味のない科目でも試験前ばかりは鋼の意志で詰め込んでいく必要があります。
そんなとき私は、今の自分の学びためではなく、単に試験に合格するためというドライな気持ちで詰め込んでいきます。
卒業要件は学びの母という言葉あるように、政治的な理由で学ばされた科目が後に役に立つことがあるわけです。
嫌々覚えた知識が直接役立つというより、学び方を覚えていること、つまりどの教科書を読めばいいか知っていることが役に立つというのが正しいイメージだと思います。
でも、結局興味を持たずに一生を終えるかも知れないという考えもよぎります。
なので、どうせ内容は忘れてしまうのだから、後に興味を持ったときの自分のためというよりは、単に試験を突破するため、と開き直った方が精神衛生的かなと感じます。そのうえで、役に立つことをささやかに期待するのがいい塩梅でしょうか。
とういうわけで、最近の大学生は興味のない科目をやらされることも多いかと思いますが、覚えなきゃ覚えなきゃと思っている状態から、精神的に一歩距離を取ることでかなりモチベーションが向上するのではないかなと思います。
あとがき兼まとめ
好きなことを学べばいいというタイトルを付けて書き始めたのですが、最終的には嫌いな科目をどう乗り切るかみたいな話に着地してしましました。
好きな科目は多分自然に学ぶという思うんです。なぜなら好きだから。そして関連する分野も連鎖的に興味を抱いてゆくでしょう。
その連鎖に現時点ではあぶれてしまう科目、要するに今は興味のない科目も、後に興味を抱いたときに教科書を知っているだけで結構楽、だから講義を聴いて試験前に詰め込んだ経験をしておくのも案外悪くない、というのが一番言いたかったことです。
後に好きになると分かっていたとしても、現時点で嫌いな科目の内容は記憶には残りませんから、それを期待して勉強するのは辛くなるだけなので、その場合は機械になったつもりで淡々と詰め込む方が楽だというお話でした。